
オレンジ色の東海バス、青い空と海、緑の伊豆によく似合う。

熱川は温泉と海だけではない。熱川バナナワニ園もあるよ!

若者たちは磯遊び。昭和の温泉旅館には夏休みがあった。
温泉旅館物語
旅館業界一筋50余年!
このサイトの管理人「湯の街ネヲン」が、伊豆熱川の温泉旅館に就職したのは昭和43年(26歳)であった。当時の伊豆半島は、南紀、宮崎と共に新婚旅行ブームのピークで、春と秋、半島巡りの定期観光バスには、日に1,000組もの新婚さんが乗車していたという。バスガイドさんの話によると、新婚さんたちは車中で皆さんぐっすりと眠っていたそうだ。時代は高度成長期、温泉旅館だけではなく旅人にとっても文字どおり古き良き時代であった。
旅なれたお客さんたちはおおらかであり、温泉旅行デビューする庶民たちは、旅行先で恥をかかないようにと事前に勉強し行儀よく振舞っていた。お膳に並んだ料理は板前さんが手間ひまをかけた地産地消の食材でおいしく、見た目も芸術品のようであった。掃除は行き届き、シーツや浴衣は天日干しでバリバリ、お日様の匂いがして気持ちがよく、お土産物は地域の特産品であった。泊る人と泊める人の間には素晴らしい関係があった。
ネヲン、旅館勤めを始めてすぐに感じたことがあった。それは、すべてのお客さんが「また来るよ」と言って、ニコニコ顔で帰っていくことである。旅館って「魔法の館?」かと思った。「なんでだ?」と不思議に思ったネヲン、あたりをキョロキョロと見回した。まず、目についたことが、館内には二十歳前後の若い女中さんたちがウジャウジャといた。ほとんどが地元・伊豆の娘たちであったが、遠く北海道からも来ていた娘もいた。
そんな若い女中さんたちは、みんな素直で従順だった。性格のいい娘ばかりが集まっていたわけではなく、時代の申し子たちであった。食べるものにも事欠いた終戦直後に生まれ育った子供たちは、親(大人)の庇護が無いと生きていけなかったので、素直で従順に育ってきた。さらに、貧富(身分)の差というものを、身をもって知っていたので、女中さんたちは、お客さんを別世界の人たちとして接することが出来た。もちろんお客さんも、そんな女中さんたちを暖かい目で見守っていた。蛇足ながら「女中さんの○○ちゃんを、我が家の息子の嫁に」という話が沢山あった。
